
冬休みは28日移動29日出発かと思っていたら、31日発だというので、とりあえず雪靴を買いに出かけたが、何もできずに帰宅。
30日に、雪靴を買い、夕食に食材を使ってから移動。食材を捨てるに忍びない。泊まりの移動の場合、一人暮らしだとこういう部分もけっこう大変。食料とゴミについて気をつけていないといけない。生ゴミのやばそうな部分は冷凍。
31日 父の運転は恐ろしかった。一回信号無視。人に気をつけてと注意した声に集中してしまい、信号が見えなかったらしい。高速でCDの音量調節を頼むと、かなりふらついた。
これは、七十歳時の試験を通らないんじゃないだろうか。犬が一緒に乗っているので狭い。
兄に運転交代して安心。無事到着。
紅白を見た。変な演出がなかったので、通して見られた。それにしても、曲が良くても歌詞が他愛ないのが多すぎるぞ。「作詞家」というのがいた時代を懐かしむ。
酒がない新年なぞ迎えるわけにいかないので、日本酒とワインを購入。
1日 午後から4時間券でスキー。私と兄のみ。レンタルスキー屋がしょぼかった。待ち合わせ時間のみ決めて、最初のリフトだけ一緒。下りるとき転んでしまった。久しぶりだしな。
新年なのでクレープを食す。
駅伝で、兄を除いて盛り上がった。やーい仲間はずれ。持ってきた本を半分ぐらい読み終わった。
夜、犬がうかれて帰ってこず、父は雪の中2時間も探していた。人を噛むと困るので、明け方早くに捕獲。雪に穴を掘って寝ていたらしい。
2日 午後から4時間券。混むスキー場を避けて、結局いつもの所へ。母も一緒。父は箱根駅伝を見るのに忙しいので来なかった。母がうまくなっていて驚いた。結局ずっと母と一緒に滑る。「お母さんちょっと物足りないわこのコース」とか言ってるし!
持ってきた本のうち、3冊読み終わる。
3日 母は疲れたらしく、また兄と二人でスキー場へ。午前から滑る。午後は2時間スキー学校に入った。久しぶりで、ついていけない。斜面でジャンプしてターンの切り返しの練習をしたので、大変疲れた。
若者とリフトで話して気付いたが、本当に若者だよ。私は彼から見たら、親に近いのだろうなあ。二十年ぶりに復帰したという関西の女性とも話す。うまいよ。あと一人はおじさまで、毎年学校に入っているのだという。私とどっこいどっこいの実力であった。
新年三日目なのでクレープを食す。
なんだかしょぼんとして帰宅。だってやっぱりへたくそなのだもの。あと、スピードが嫌いなんだもの。ゆっくり滑りたいのだ。でもブレーキをかけると筋肉痛がひどいのだ。
夜はローマのテレビを見た。おもしろかった。
4日 せっかく学校に入ったので復習のため、一日滑って帰るつもりだった。朝起きたとたんに、無理、という結論に。けっこう降っていたし。スキー場に行く途中に、駅で落としてもらい、一人で帰宅。疲れた。
5日 Sさんちに行く予定だったのだが、今度は食中毒で倒れていた。図書館に行った。
6日 何かをごまかすために、バカ映画祭りを一人で開催。
食中毒って、防げるじゃん……と、控えめに怒りを表現してみたり。それだったら、あと二日ぐらい滑ってもよかったのだ。
猫タワーが倒れた形のままになっていて、Sさんが何もできない状態なのはよくわかっているつもり。でも、猫タワーでPCが破壊されてスカイプもできないし、それをどうにかする気力もないんだし、二人の間に交流がないというのは、けっこう疲れる。何かをしてもらえないのもつらいけれども、こちらからの働きかけが、邪魔にしかならないというのがだめな気がする。
ということを思ったり書いたりする自分を責めたりするのも疲れる。自分はやっぱり冷酷でだめな人間だよねということは、ふだんはなるべく忘れていたいものである。